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ドラえもん映画が壮大だったとこ

藤子トラベルの冒険ツアー、ドラえもん映画が壮大じゃなくなった4つの理由って? : Blogで本を紹介しちゃいます。
 ドラえもん映画の考察。今のドラえもん映画は壮大じゃなくなったと。本当に昔は壮大だったのかと考えてみる。

壮大だったとこ1 最先端のSFだった

最新作である「のび太と緑の巨人伝」は環境問題ウンヌンが随所に取り入れられたり、CG技術を使った映像が盛り込まれていたり、普通に考えれば壮大なスケールの作品であるはずです。

 環境問題を取り入れているから、最先端のCGを使ってるからって壮大になるわけないんです。それを題材にして、想像力を働かせて、その先があるから面白いんです。
 ドラえもんはブラックでシュールなギャグマンガであり、模範的な道徳マンガでもあり、映画版なら友情、努力、勝利な根性マンガでもありますが。根底はSFなんです。200年先の超技術で作られたロボットがお小遣いで買ってきたスーパーガジェットを、時間を逆行して持ってきた話なんです。世界観はよくある日本の風景でも、出てくるものはスターウォーズだろうとハルヒだろうと真っ青なくらいSFしてるんです。
 環境問題を題材に選んだら、「緑を大切にしよう」で終わっちゃだめ。SF的にどう解決するかが大事。

 たとえば環境問題をテーマにしたドラえもん のび太とアニマル惑星なんて、物語が始まった時点で環境破壊が進みすぎて、人間が住んでた星一個が住めない状態になっている。北斗の拳なみ、ヒャッハー。それで人間がせめて動物だけでも助けようとして移住した星が冒険の舞台。
 その星は環境なんて大事にしていない、すげーシステムで成り立っている。町にはほとんど森はなく、畑もなく、街路樹や花壇が少しあるくらい。電気を一面のソーラーパネルから供給して、空気中の二酸化炭素から炭水化物を合成してる。なんて超システム、生態系なんて無くても生きていけるぜ。環境問題解決だ。
 って位、環境問題をテーマにしても極限までSFする。そりゃ壮大になるわな。
 他にも恐竜の絶滅した原因が解決したからそれをテーマにするなら、核シェルターを作って非難させたら絶滅しないから進化して人類になっちゃったとか、ファミコンが流行ったら進化したら中に入るんじゃね?入れるんなら出れるんじゃね?とか、そのときの最先端の科学でSFしてる。
 忘れちゃいけないけど、SFってサイエンス・フィクションなんだよね。真っ向から科学してる。一面のソーラーパネルで動く自律した工場とか、進化の限界とか、見てるとわくわくする、これが壮大感。
 でも今更一面ソーラーパネルとかオートメーションな工場とか見せられても、フィクションじゃないんだよね、実際にあるし。SFっていずれは想像に追いつく。リアルの科学の最先端を常に追わないと、追いつかれる。だから、SF的に見るとどう頑張ってもリメイクで面白いはずが無いんだよね。
 SFと妄想の違いってまがりなりにも科学が根拠なんだよね、リアリティがすごい。ただ壮大なだけじゃ現実味が無いけど、科学が進歩すればこれくらいって思える。実際ある程度はなってるしね。

壮大だったとこ2 スーパーデフレ化

 ドラゴンボールじゃ後半地球が吹っ飛ぶ程度じゃ壮大感のかけらも無くなっていたよね、インフレしすぎていて。その辺のび太はすごい。なんてったってデフレする。ジャイアンに追われれば命の危機だし、テストで20点取ればうれしくなる。普段からドラえもんを見てると物差しがどんどん短くなる。子供のころの気分って、いつもそうだったのかな。
 それがのび太がかっこよくなるってことはゴクウに近づくって事、せっかくの価値観デフレ世界が元に戻る。気にするほどのことじゃないけどね。