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ソーシャル・ネットワーク感想

 ネタバレあり。
 印象的だったのは、ビル・ゲイツが講義をしているシーンがあったこと。本人ぽくみえたけどモノマネの人らしいことは置いておいて。講義の内容がOSとアプリ含めても4KBに収まるように作っただとか、技術的な内容だった。マークは人の話は聞かないし、彼女としゃべってても自分のことしか話さないし、友達は数人しかいないし、人付き合いが下手なようにみせられていた。でも、喋ってる内容を見ると「知りたいのは交際してる人の有無」だとか、「一瞬でもダウンしたら誰かがやめて、友達がやめたらやめるから、ドミノ倒しのように人が居なくなる」だとか、人付き合いの話しかしていない。ビル・ゲイツとは対称的なことを話してる。前の成功者と今の成功者、時代が移り変わってる感がよかった。
 それ以外にもマークはギークステレオタイプに描かれていて、悪意というか作為というかを感じた。裁判に無関心なこと、広告に無関心でスポンサー探しのときにふざけていること。終わってからみると全て大事の前の小事、ことわざの意味をひっくり返すようだけど、スルーしてもいいことばかり。時価総額250億ドル株式の51%があれば6600万ドルの和解金や数万ドルの広告料なんてのは気にすることじゃない。
 逆にマークがやってきたことは、協力的だけど劣化MySpaceみたいなアイデア出してこだわりそうなウィンクルボス兄弟より、自分のFacebookの操作方法もわからないほどサイトの内容には無関心で丸め込みやすくて、金持ってて、ファイナルクラブの人脈を持ってる適任すぎるエドゥアルドを引き入れるとか。人が求める情報を項目に入れておくとか。ダウンさせるような事件を起こしたら激昂するとか。優秀なプログラマを選別して、集中するときは集中させるマネジメントとか。挙げだしたらきりがないけど、マークが自主的に動いているときは徹頭徹尾Facebookのためになることばかり。広告についても要らないじゃなくて、「まだ」と言ってたし、ショーン・パーカーにそそのかされたんじゃなくて最初からメカジキを狙っていたとしか思えない。
 結果的に捨て駒エドゥアルドの人物像が他にくらべてぼやけてないことと、ハーバードから西海岸に移ったあとがぼやけてる感じからエドゥアルド視点の映画だと思えば合点。マークは常にわけのわからないことを言ってるし、気に入らないショーンと一緒に夢見てるし、ふたりとも気に入らない人物。それでもFacebookの主人公はマークだから、ソーシャル・ネットワークは視点がふわふわした映画だった。